土佐文旦(とさぶんたん)の起源
土佐ぶんたんは高知県の特産柑橘で現在では、早春から春にかけて県下各地の青果店で特産品として売られています。しかし高知県外では、まだまだ名前が知られていないのが現状です。その土佐文旦が何処からきたのかですが、私(園主:60代)が生まれて物心ついてからは、もうすでに栽培されていました。子供の頃は温州みかんより文旦を好んで食べたことを覚えています。
記録によりますと、土佐ぶんたんの原木は昭和4年に設置された高知県農事試験場園芸部(現在の農業技術センター果樹試験場)の玄関に一樹あったそうです。(これは朝倉の高知大学のちょうど西の山の上だと思います)
高知県で栽培されている土佐文旦はすべてこの樹を母樹として増殖したものです。この原木は昭和37年果樹試験場本館建築の際に移植によって枯死したそうです。
木の大きさは、樹齢30年幹の周囲65センチ樹高3.4mという記録は残っていますが、この原木の発生起源、どこから誰のよって導入されたのかなど、その由来については記録がなくわからないそうです。
この原木から増殖した苗木が土佐市戸波の農家に昭和18年導入されています。
導入した農家の宮地氏のお話では、誰も作っていない品種で栽培管理方法もわからず大変苦労をされたようです。また、それ以上に販売も大変だったそうです。知らないミカンを買ってもらうのは本当に大変で、高知市内の青果店で「このミカンは一個売るのにお客さんに一個食べさせぬと売れぬので大損だ。」と言われたそうです。その後、宮地さんの努力と、この土佐文旦の味の良さのおかげで次第に広まり、栽培する農家も増えました。そして高知ではなくてはならない特産柑橘に育ちました。全国的に温州みかんの増産の時代に、土佐文旦の品質と将来性を信じて努力された宮地さんに当地区の文旦栽培農家(私も含めて)は感謝しています。
ここから土佐文旦栽培が始まったことを記念して、そのことを後世に伝えて行くために 平成7年に「土佐文旦発祥の地 記念碑」が建立されました。